4月 7, 2019

「海浜くらしの研究所」Vol.23 石原和幸さん(前編)

Vol.23 石原和幸さん_img01

「この庭ほしい」って思うようなドキドキする庭をどう造るか。それを一番大事にしながら、世界最高峰の大会の金メダルを取り続ける。
「海浜くらしの研究所」Vol.23 石原和幸さん


さまざまなジャンルで活躍するライフデザインの達人たちを迎えて、どんなくらしが自分を楽しく、豊かにしてくれるのかを研究する「海浜くらしの研究所」。その第23回目のゲストは、国内外で活躍される庭園デザイナーの石原和幸さん。今日は石原さんに、これまでのお仕事について、楽しくお話しいただきました。



父のために始めた生け花が出発点

(モトクロスレーサーを辞めて自動車関連の会社にいたころ)畑に花が咲く木を植えた父親を手伝いたいなと思って、生け花を習ったら手伝えるんじゃないかと、池坊に入門しました。そして24歳で、もう自分で頑張ろうと、(父が酪農をやっていた時代の)牛小屋1頭分に板を張って看板付けて、花屋を始めたんです。
(3人で始めたうちの一人が長崎の水害で亡くなる辛い思いをし、路上で花を売る経験を経て)僕が見つけた場所は、一等地の自動販売機。これを借りて、かまぼこ板みたいなシャッターを付けた中に花を入れて売って大成功したんですよ。そこで僕は何でもいけると、長崎に福岡に、熊本、沖縄にと、80店舗くらい出しました。品揃えをしないで、その季節の花だけを売りました。アジサイが咲いたら畑から切ってきて全部、アジサイを売る、みたいな形でずっとやって、値段も最初は200円、100円、もう3日目には10円とか毎日変えるんですよ。

Vol.23 石原和幸さん_img02

ジョージ:
よくスーパーも夜7時に行くと弁当が安いとか。

麻耶:
セールのシールじゃないですけど。

石原:
日曜日はウチ安かった、日曜日はぜんぶ10円とかです(笑)。



花屋から庭造りの道へ

ところがバブル崩壊して、この花屋がうまくいかなくなって8億くらいの借金を抱えたんですね、生産農場を海外に作ったりしていたので。それで、少しあった建物と海岸線の土地を売却して、半分の4億円を返しました。
一人でもう一回、花屋を始めたとき、(花の苗を配達した先のお客さまから)「石原くん、庭できるの?」って言われて、やったことなかったんですが「得意です」と言って、ホームセンターにレンガを買いに行ったり、長崎にある流木を使って庭を造ったんですよ。でも、やったことがなかったからレンガの積み方が下手で、縁からプチッとコンクリートが出ているのをお客さんが見て「やぁ、石原くん、しゃれてるね」なんて言われて。「やっぱり東京とかみんなこんな感じでおしゃれな」とか言って。そこで「10万円でできるの」って言われたんです。花屋で10万円という値段はないんですが、そこでウンと言ったら値切られそうで、「ギリギリですけど、大丈夫ですか」みたいな。このとき「庭っていけるな」と思いました。後ろは断崖絶壁ですから、10年で4億円払わないかんし、毎日売れなきゃいけないしで、24時間営業していました。

Vol.23 ジョージさん_img03

もう一つのチャンスが「TVチャンピオン」って番組の「ガーデン王選手権」。友達を集めて「俺、あれ出たいんで、テレビ東京に『長崎に天才ガーデナーがいる』って電話してくれ」と頼んだんです。そうしたらテレビ東京から電話があって「石原さん、自分で電話してるでしょ」ってバレてたんですが、「面白いから出場してくれ」っていうことで、41歳で20年前に初めて「TVチャンピオン」出たんですよ。それがきっかけで本格的に庭を造るようになって。優勝はしなかったんですが、ほかの人たちの庭を見て「全然、負けてないな」と。それから1年間はすごく仕事が来たんですが、2年目からぐんと減ったりして。



日本と世界の高評価を目指して

そこで、日本一とか言ってもよく分からないから世界一になりたいと、いろいろ調べたらチェルシー(国際ガーデニングショーの最高峰『英国チェルシーフラワーショー』)があると。そこで2003年にイギリスに初めて観に行ったんですが、これは無理と思った。2億円かかったとか3億円とか、そんなのばっかりだったんです。

Vol.23 麻耶さん_img04

僕には借金と実家しかなくて、僕の(そのとき考えた)デザインで5千万円くらいかかる。(スポンサーになる企業も現れず)仕方ない家売ろうと、それが2500万くらい。僕は実はそんなに(5千万円も)かかると思ってなかったんですが、20人のスタッフがロンドンで1泊5万円で(1日)100万円。1、2週間で(資金が)なくなっちゃう。大会が始まったら、お金がなくてモノを買えなかったんですが、会場のゴミ箱にすごくいい材料が捨ててあるんです。そこでゴミ箱あさっていたらBBC(英国放送協会)が取材に来て、ある意味、人気者になっちゃって、みんなが差し入れを持って来るようになった。また、ちょっと砂が足りないと思ったら、(地元企業から贈られた)カステラをあげる代わりに砂やセメントをもらったり、盆栽を借りたりして、9割方それで(造りました)。チェルシーは点数制で、2004年は(僕が受賞した)シルバーギルドがトップだったので「うわ~、これいけるぞ」と。

Vol.23 石原和幸さん_img05

でも日本に帰ったら、いっさい話題になってなくて。悔しくて2005年は2500万円分のスポンサーを1年かけて集めて、借金を返しながら2500万円貯めて、それで2006年にアヤメを咲かせるデザインでゴールドメダル(拍手)。これでも(地元長崎では)知らないんすよ。だから悔しくて、日本という国と僕がチェルシーのなかでナンバーワンだ、ということを証明するために出場し続ける、と決めたんです。チェルシー=石原になりたい、と毎年お金貯めてチェルシーで使い果たしています。13回出場しまして、10回、金メダルです。チェルシーで一番大事なのは、4日間で来る16万人くらいのお客さんに、庭を観ていただいて人気になるということ。目が肥えた一般の方が「この庭ほしい」って思うようなドキドキする庭をどう造るか、それを僕は一番大事にしています。