1月 27, 2019

「海浜くらしの研究所」Vol.13 中丸三千繪さん(前編)

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海草を採りに海に潜った少女時代。その体験が、オペラに適した身体をつくる。
「海浜くらしの研究所」Vol.13 中丸三千繪さん


さまざまなジャンルで活躍するライフデザインの達人たちを迎えて、どんなくらしが自分を楽しく、豊かにしてくれるのかを研究する「海浜くらしの研究所」。
その第13回目のゲストは、オペラ歌手でソムリエでもある中丸三千繪さん。今日は中丸さんに、オペラとの出合いやこの世界の裏話、さらに海の思い出などを話題に、お話しいただきました。



イタリアに憧れてこの道に

(オペラ歌手を目指したきっかけは)作曲家か指揮者になりたかったのですが、高校2年の終わりに1枚のLPレコードの、チェンバロと歌による曲を聴いたときに、楽器はいっぱいあって同じ音が出るけれども、声は世界に1個しかない自分の楽器だなって思ったのです。それで、やるんだったら歌がいいなって、急に気持ちが変わってしまったんですね。
音楽高校だったのですが、それで大学を声楽で受けることになって。でも、大学を選ぶよりも(前に)、中学生か高校生のときに (ルキノ)ヴィスコンティの山猫とか(フェデリコ)フェリーニのドルチェビータ(甘い生活)っていうイタリア映画を観て、イタリアの貴族社会に憧れて「ああいう生活がしたいな」って。ですから「オペラをやりたい」って言うよりも「イタリアに住んでイタリア人になりたい」っていう気持ちの方が強かった。そしてイタリア映画でオペラ歌手がイタリアでは一番だと分かって、どうしてもオペラシンガーにならなきゃいけない、って決めたんですよね。

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(88年にルチアーノ・パヴァロッティ・コンクールで優勝。90年には、オペラ最高峰のマリア・カラス・コンクールに優勝。さらに、イタリア共和国功労勲章コメンダトーレまで数多くの栄誉に輝いていますが) コメンダトーレは日本で言うと文化勲章の勲三等みたいな感じ。当時は、私以外で取った日本人は黒澤監督(だけでした)。イタリアの国から(贈られる賞で)、イタリアの大統領から「あなたにどうぞ」という感じで、イタリアの文化を世界に広げた、ということでした。

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ジョージ:
こういうの持ってると、レストラン、いい席取れますよね。

麻耶:
ジョージさん、あさはか。

中丸:
(笑)



オペラ界を生き抜く

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オペラハウスで一番大変だったのは、(自分の)ペットボトルに下剤とかアスピリンみたいな薬を入れられたりしたこと。それは、シングルキャストじゃなくて、ダブルキャストやトリプルキャストで行うので、つねに私が倒れるのを待っている人たちがいるからなんですよ。
私自身も1988年のラ・ボエムっていうオペラでヨーロッパデビュ―したとき、本番の30分前に着いてリハーサルなしで歌ったんですね。つまり、たくさんレパートリーをもって常に完璧にすぐにも歌える状態(を保ち)、どんな演出家でも、もとの演出は楽譜に書いてあるのでそれを覚えておくこと。そうして、誰かが病気になったときにピンチヒッターで出られる力をつけておくことが一番大切なんですね。

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それでも待っている人たちは、ダブルキャストで(出演する)日が決まっているとき以外は、私が病気にならない限り出番がないんですね。そういう人たちには何をされるか分からないっていう、本当の話なんです。ですから、私が(イタリアで)優勝した当時、ミラノの自宅の留守番電話に、イタリア語で「死ね!」って入っていたんです。だから自分の衣装係にチップを渡して「私のペットボトルは持っていてね」って(頼んでいました)。



クラシックとポップスの出合い

(昨年リリースのアルバム『VOCALIST』のコンセプトはクラシックとポップスのクロスオーバーですが)『曲が深くなる』と言っていただきましたが、音域自体は上げているものの、オペラのアリアのときのようなビブラートはつけずに、割とポップスに近く歌ってはいるんです。

(「Nuovo chinema paradiso」は) 昔の自分のアルバムにも入っていますが、「ニュー・シネマ・パラダイス」っていう映画で(エンニオ)モリコーネが書いているんです。私はこの映画が大好きで、テーマのメロディに歌詞を付けて、どうしても歌いたいなって思って。というのは、私が留学してイタリアに住み始めたときに、テレビでこれが流れていたので、私としては、この映画と共にイタリアがあるんです。ただ、サラ・ブライトマンが、モリコーネの曲をレコーディングするのに3年~4年かかったと言われたので、私は、レコーディングしてからモリコーネに電話しよう、という話になって、録ってからモリコーネさんに電話したら、「Sì!」OKって、「Certo!」もちろん、って(言ってくれました)。



海から始まる体験

(海草の研究についてですが)小学校1年のときに海で溺れたんですね。それで、私はこの海の向こうに行きたいと思っているのに、海が怖くなったら行けないと思って「お父さん、私に水泳を教えて」と言って、川に入って逆流で練習したんですよ。そして、小学校2年のときにその溺れた海に行って、波の下に潜っている間に海草に出合ったんです。そこで「何で陸の植物には根があって根毛が生えているのに、海草は岩に付いているだけなんだろう。何とか海草に根を生やそう」と、理科室を開放してもらって、小学校2年から中学2年まで海草の研究をしたんです。塩分の%をいろいろ変えて、栄養剤を入れたり酸素を送ったり。そうしたらテングサという海草に根っこが生えてきたのですが、あまりにも長いこと(実験を)やっていて、何をやったかを書き出せなかったんですね。それでもう、実現したからいいかなと。

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でも、海草を取るために7、8メートル潜っている間に、水泳が速くなってきて小学校6年から中学3年まで選手として出場し「オリンピック目指したいな」って思ったのですが、いつも大事な試合にターンで失敗し、これは才能がないなって、きっぱりと中学3年であきらめたのです。でも、ジョージさんが「それをやったからこそ、肺がオペラの肺になった」と言われた通り、だったんです。